Shizuokacc SCC

イベント・セミナー

眞木準さんを偲んで

「静岡にはコピーライターズクラブがないの。つくりなよ」

2001年秋。
元会員の電通東日本CR課古山さんは、
静岡新聞広告賞授賞式の会場で眞木準さんにハッパを掛けられました。
何日か経って古山さんは私に、「立ち上げて」と。

2002年春。
9名の有志で設立準備委員会が発足、同年9月にSCCが設立されました。
2003年夏。
第1回コピーライターの〈仕事展〉終了後、私はお土産のタタミ鰯を携えて東京へ。
六本木ヒルズを見あげながら、西麻布の裏通りを速足で。
汗だく、道に迷ってしまったのです。眞木準企画室ってどこ。
約束の時間に10分遅刻。
通された2階の1フロアオフィスの中央に、眞木さんは悠然と座っていました。
「暑いならジャケット脱いだら」
「あっいえ、下、タンクトップなので」
「いいじゃん別に」
それから1時間余り、何を話したのか、ほとんど覚えていません。
最初に、来年開催予定の第1回SCC広告セミナーの講師を、に快諾をいただいたから……。
緊張がゆるんでタガが外れたのでしょう。

2004年6月22日。
第2回「仕事展」の撤収間際に、眞木さんが飛び込んでくる。
「掲出された全作品をセミナー会場に運んで」
その4日前。
「全作品を撮影して送って。メールやんないから、画像添付じゃなくて郵送で」
岩崎さん、美貴さん、明香さん、お疲れさまでした。

セミナーは、SCC会員作品の公開講評審査会に。
「松永ちゃんは会長だから賞なんかやらない」
眞木準賞を受賞したのは、4名の会員の方々。
岡村智雄さん、北村祐一さん、白柳真理さん、真神信雄さんでした。

なだれ込んだのは、ギュウギュウ詰めの懇親会場。
肴はなぜか、でっかい鮪のカマ煮付、しか記憶にありません。
その前で眞木さんは、生ビールにちょっと口をつけただけ。
「今日クルマで来たから」
「えっ」
「東京駅の近くに駐車してある」

以来、眞木準さんにお会いする機会はありませんでした。
そして突然の訃報。
2009年6月22日。
急性心筋梗塞によりご逝去、享年60歳でした。
奇しくも、あのセミナーから5年後の同月同日。
悲しく辛い偶然です。

個人的な思い出ばかりですみません。
眞木さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌。

松永志郎

「眞木準さんを偲ぶ会」参拝レポート

7月30日、表参道。とても暑ったのを覚えている。花を持ち歩いたならすぐに枯れてしまいそうなほど太陽が照りつけ、歩くたびに汗が首を伝って滝のように流れた。私は、そこにいた。SCCの代表ということで、「眞木潤さんを偲ぶ会」に出席することになっていた。

時間よりだいぶ早めに会場の青山ダイヤモンドホールへ到着。入り口には「眞木準さんを偲ぶ会」と大きな看板が設置されていた。

裏手にある日比谷花壇という花屋へ歩みを進めると、他にも出席者の姿があった。店員と相談しながら献花を購入。SCCとしての小さな花束は、夏の日差しのように燦然と輝く功績を残された眞木さんを偲び、太陽に向かって咲く向日葵など、季節の花で彩ることにした。

会場の入り口に戻る頃には、人が集まり始めていた。眞木さんが黒い服を好んでお召しになっていたからか、案内には平服で、とあったが、一様に全身モノトーンな人々であふれていた。

入り口で名刺を渡し、挨拶をしてから会場内へ。誘導されて入ったそこには、大きな遺影と献花台が設置されていた。穏やかな表情に誘われるようにして献花台へ。代表としてSCCの生みの親としての感謝、個人的には宣伝会議養成講座での教えの感謝。さまざまな思いを花とともに捧げてきた。

献花台を後にすると、隣の空間に眞木さんの代表作を展示したボードがずらりと並んでいた。どれもこれも見覚えのあるものだ。周りにいた人々も、眞木さんのコピーを改めて見ての再発見に感嘆の声をあげていた。

人は途切れることなくやってきた。同年代と思われる方がやはり多かったが、若い人の姿も見受けられた。養成講座やTCCの人たちだろうか。中には幼いお子さんを連れた人もいた。年代を問わず集まった人々に、眞木さんの人柄が偲ばれた。

会場を出てきた時には、日差しはすっかり和らいで、通りの木々ではセミが沈みゆく太陽を惜しむように静かに鳴いていた。

SCC会員 杉山裕美